4月1日:性別的暴力・The Violence of Gender

気づいたら、もう4月。平成最後の4月。
今月は久しぶりに書こう。そして考えよう。
気になっているトピックを分野に捉われず

本日タイトル:性別的暴力


先日、香港の大館(Taikwun)當代美術館『性別的暴力』の展覧会へ行ってきた。
友人に勧められたため行った。
直視したくない醜い現実を目の当たりにし、恐怖、絶望、怒り、様々な感情が湧きあがった。
普段、「性別」や「暴力」についてあまり問題意識を持っていなかったからだろう。
これを機に『性別的暴力』、性や暴力について少しだけ考えたい。



性:
Sex(性)とGender(ジェンダー)で分けることが多い。
性は生まれつきの、生理的な区別(男・女)、一方でジェンダーは社会が作る概念である(例:女性らしさ、男性らしさなど)
近年、LGBTQ(=セクシャルマイノリティー*)を聞くことも多いと思うが、
それが何を示すかというと、いかに「性」が複雑なのか、ということ。
社会を構成するあらゆるもの(パワーストラクチャー、宗教、伝統、文化、生理的な理解)が日常を作る。そのため、実は、性別的暴力というのは、日常に普通化されて、忍んでいる。即ち、完全に自由になる、自己決定権を握る、ことはとても難しい。

*両性愛者、両性愛者、性同一性障害などを含む



暴力:
暴力とは、乱暴な力で誰かを強制的に苦しめる不快な行為であることだろう。色々な種類の暴力が存在する:場面によって分けられたり、見る人、受ける人によって解釈が異なることもあり、様々な形で存在する。

#MeToo:
それこそ、日本で、この「性暴力・セクハラ」トピックの火付けとなったのが、SNSでの#MeToo拡散である。きっと性暴力にあった人の苦悩の一つに、被害を通報しにくいということがあるだろう。それには色々な理由(社会的など)があって、SNSによって発言がしやすくなった、という見方もあるし、一方でそういうことが起きているという衝撃も社会に広く知れ渡る。



日本社会には男女別が沢山存在する...
女性専用車、女子力、女子会、レディースデイ...
これらも女性特別扱い?不平等?

生まれた時からどの国でも、女の子だったら女の子扱いをしてというのが当たり前だ。
まず名前からだって区別されるし、洋服、おもちゃ、話し方、なんかも違うもん。
だから、根本的に、全ての人を性別関係なく対等に接するべきだ!とは断言するつもりはない。自分も頑張ったって、できないであろうし

だけど、頑固反対なのは、現状を何も変えないということ。
同世代の人でも、女性だからOO、男性だからOOという発言を言う人はいつも疑ってしまう。今の時代、男女で区別されるべきこと、どれくらいあるのだろうか。
痴漢被害防止のために、セクハラ防止のために、
男女問わず全ての人がちゃんと正しい知識を身につけ、
危ないことが起こりそうな時はお互い支えあう必要がある。

この展示会では生理的な区別でさえ、
性暴力につながっていると訴えていたため
ショッキングだった。
特に、男女を区別する際、一番最初で上がるだろう、
女性は出産できると言う事柄について。など

私が思うに、
正直、
問題は「性」だけではなくて、
社会、
社会における人々のものの見方、価値観、とそれに対する行動なのだと思う。
現実からは目を背けず、身の回りでそのようなことが起きないように、
起きた時の対処法を今一度考えなければ




追加情報:
詳しい作品紹介や概要は英語・中国語のこちらのオンラインパンフレットから
2月16日〜4月28日まで(11時〜19時・21時*金)
大館(Taikwun)當代美術館にて(建物自体、探検するにはもってこい!参考写真下)


まとまりがないが
今日はこれにて

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